斎藤剛史の教育ニュース観察日記

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zoom RSS 日々雑感・教員と社会のすれ違い

<<   作成日時 : 2005/10/23 14:05   >>

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 教員給与は高すぎるという税制制度審議会の記事について、さまざまなブログで意見が出されている。ただ、教員の方々の反論はやや説明不足という印象を受けるし、社会一般の認識とのずれは意外と大きい。この原因はなんだろうか。

 おそらくそれは教員という仕事と身分の特殊性が原因だろう。大学で養成された専門職ではあるが、医師や法曹と違って免許を持っている人間のほぼ全員がその職に就いているというわけではない。そのくせ、他の資格とちがって養成や採用のハードルだけは高い。医師や弁護士と違い、社会の人間は教員との付き合った経験(児童生徒時代を含めて)を全員が持っている。つまり、教員は誰でも論じられる職業でありながら、その実態は経験しないと分からない部分が多すぎる。また、自分の子供時代しか教員との付き合いのないほとんどの人間は、職業としての教員の実態をほぼ知らない。

 次に、組合(公立は教職員団体)はあるが、医師会や弁護士会などの職能組織がない。日本教師会というのがあるが、これは官製団体で問題にならない。社会への訴えにはどうしても労働運動というフィルターがかかるので、一般社会から拒否反応が出る。例えば、先の日教組の教員実態調査を労働運動、反権力、左翼などのフィルターなしで客観的に受け止める人間がどれだけいるだろうか。

 そして最大の原因は、教員が何を目的に仕事をしているのかということが、般社会人には理解しづらいことだろう。民間企業で働く人間、一般公務員は所属する組織の利益のために仕事をしている。そんなつもはないという人でも、自分の仕事が所属する組織のためであることは好むと好まざるとにかかわらず認識はしている。民間企業は説明の必要がない。公務員の場合でも、各セクションを異動するものの、最終的には省庁、都道府県庁、市町村役場という組織の一員である。公益という理想はあっても、実質的には所属組織によって自分を自覚できる。
 それに対して、公立学校教員はどこの組織に所属しているのか。端的に言えば学校だろう。しかし、数年で異動する。行政職は異動しても省庁、都道府県庁などに所属意識を持っているが、教員は都道府県教委に所属意識を持っているわけではない。民間人も会社を渡り歩く場合もあるが、これは本人の選択(積極的か消極的かは別にして)で、より条件のよい組織に長くいることに努力している。これらの人間から見れば、数年で異動していく教員が特定の学校に所属意識を見出しているとは思えないだろう。
 では、公立学校教員はどこに所属意識、あるいはロイヤリティーを持っているのか。それは、子供のため、子供が好きだからということも含めて学校教育全体だと言うしかない。これは、おそらくほとんどの一般社会人にとって、想像はできるものの実感はできない感情ではないだろうか。これが公立学校教員と一般社会の奇妙なずれの原因だと思う。医師や弁護士などの専門職も同様だろうが、先に言ったように一般社会人はこれらの職業についてはあまり知らないし、評論家ぶりもしない。

 最後は、公立学校と教員は「末端組織・末端公務員に過ぎない」という認識が、一般社会にないことだ。これは幸いなことかもしれないが、ここから過大な期待が教員に生まれてくる。例えば、役所の窓口の人間に年金制度を改革しろと本気で訴える人間はいない(たぶん)。これに対して、教員に本気で改革を求める人間は結構多い。校務の合理化、学校環境の整備、教員の増員などは、末端公務員に過ぎない教員には、管理職も含めてじつは無理な相談なのだ。それでも末端組織、末端公務員として学校と教員はできる範囲内で努力している。しかし、「できる範囲内」の基準や判断が関係者と外部では違いすぎるのが実情だろう。
 行政組織、公務員として公立学校と教員は考えてみれば不思議な位置にいる。行政全体の中ではほとんど権限を持っていないに等しいのに、子供に対しては殺生与奪に等しい力を持っている。

 ある登山家のエッセイに教員とはパーティーを組みたくないという発言があった。その理由は、教員は「できない」とは絶対に言わないからだ。山ではそれぞれが自分の持ち分をこなさないと生死にかかわる。それなのに教員は、できもしない仕事を引き受け、全員を危険にさらすことがあると登山家は言う。ある意味で、社会と教員との間の溝を埋める手段は、教員自身が「できない」「無理だ」ということを管理職や行政でなく、保護者や地域、社会にそろそろ率直に発言していくことではないだろうか。消極的発想ではあるが、、、、。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
長いこととっておきたいエントリーです。
非常に端的に説明がされているし、多いに同意したいです。
登山家の話は教師の精神状況をよく説明する好例だと思います。
ただ、そんな教師の気持ちを解きほぐすのは、ますます締め付けが厳しい教育施策の中では容易ではないと思います。
今は、よくてブログどまりです。
私は、せめて無用な批判、批難にさらされない状況が欲しいと考えています。
yo
2005/10/23 21:38
yoさん、コメントありがとうございます。
現場にいる教員の方々には、いろいろと不満や見当はずれもあるエントリーだとは思いますが、外野席に身を置いている私としての考え方として笑って許してください。
どんなに教育改革があろうと、教員批判が起きようと、今日も明日も明後日も学校には子供たちがいるわけです。いたずらな教員バッシングは未来を殺すだけです。
カラ
2005/10/24 14:25
お疲れ様です。
登山家のたとえ話に深く共感します。古い話ですが、しかし今なお決着しているとは思えない「教育は私事かどうか」という問題を思い出しました。こんなことを論じてもしょうがないと怒られそうですが(苦笑)、あまりにも教師に教育をゆだねすぎている部分はあると思います。短い経験から言うと、毎日毎日40人近い子どもたちの「お守り」(失敬)をするというのは、それだけで相当なストレスです。
任せるなら任せる、そうじゃないとすればどこまではできてでこまでは公教育に任せるのか、その辺についての議論を根本的にやらないと、先生たちのつらい状況は緩和されないと思います。
そんな声は外からはあがらないですから、教員の方から何ができて、何ができないか、声をあげてほしいと思いました。
go
2005/10/24 23:11
goさんは講師経験があったんだよね。
「できない」と言うのは簡単なようで、じつは難しいことです。
フリーライターも「できない」とは絶対に言いません。「大丈夫」と明るく笑って内心泣いてます。締め切り過ぎているけど、あと少しだけまってください(汗、、、、。
カラ
2005/10/25 00:37

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