斎藤剛史の教育ニュース観察日記

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zoom RSS 日々雑感・教員の「評価」

<<   作成日時 : 2005/11/15 00:24   >>

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 前回の教員はどのような評価を望んでいるのかという私の疑問に、何人もの教員の方からコメントをいただきました。本当にありがとうございます。私なりに考え方を整理してみたいと思います。

○個人的に受けたい評価は実践が認められ、地域、保護者、もちろん児童から信頼を得られることでしょうか。(yoさん
○評価基準の対象にならないようなことがわたしにとっては教員という仕事をしていく時の活力になっています。そしてそれがわたしの生きている・あるいはこの世に存在する「意味」を感じさせてくれるのです。(卯月さん
○評価を気にしている相手があるとしたら「子ども」だけです。(七星 来人さん
○教員が望んでいるのは、評価ではなく報酬だと思います。賃金や地位という物的(外部的)報酬に満足する人もいますが、逆に生徒の成長に帯同できるという心的(内部的)報酬に重きをおく教員もいます。(不適格教員さん

 私の質問自体が的を外れているかもしれませんので、お答えいただくのも大変だったかと思います。いただいたコメントに共通するのは、ほとんどの教員は高い給与や管理職ポストを目指して働いているのではないということだと思います。教員は、仕事に対するプライド、子供の成長や保護者の理解など、いわゆる「やりがい」あるいは「生きがい」のために仕事をしているのだと改めて認識させられました。

 ただ、世間では次のような反論も出てくるのかなと思います。それは、
「教員は子供を常に評価している評価者であるのに、自分が評価の対象にされることをいやがるのはおかしい」ということです。

 もちろん、「評価」という言葉にはさまざまな意味があり、使う人によって微妙にニュアンスが異なることも問題の一つです。ここでは、昇進や昇給・減給のための勤務評価という意味ではなく、教員個人の指導力や授業力をどう把握するのかという評価の意味で使いたいと思います。

 管理職になるための評価、昇給のための評価には、学校現場では反対が多いことが分かりました。昇進や昇給が教員のモチベーションを上げることには必ずしもならない。ある意味で、これは歓迎すべきことだと思います。「年功序列」の賃金体系は、教員にとってはある種の合理性があるのでしょう。

 しかし、現在の社会がこのような専門職のプライドのみに頼った環境を許す度量がなくなりつつあるのも確かだと思うのです。特に学校については。

 「子供のために本当にためになる教育をしているのかを判断するのが教員本人だけで、本当に正しい評価ができるのか。本人が勘違いしたままだってあり得る」

という批判も現実に出ています。実際には、子供の様子や同僚同士のつながりの中で、自分の力量は分かるものですが、自己評価だけではもう社会は納得しなくなっているのではないでしょうか。

ただ一方で、人事考課などに賛成する社会の声の中には、教員批判ばかりでなく、「頑張っている先生を応援したい」という気持ちの人も少なからずいるはずです。つまり、一般社会は、「評価する」ということを

「頑張っている先生の努力に報い、力不足の先生にはもう少し頑張ってもらうように自覚させる」

ことだと受け止めているのだと思います。

 社会が教員に対する「評価」を求める裏には、保護者や地域に対する教員の情報発信量の不足があるのではないでしょうか。つまり、教員が本当にどんな力量を持っていて、どんな教育をしているのか分からないという不安が、「評価」を求める声として表れているのだと思います。いただいたコメントの中の「発信しなくちゃいけないですね」(せきちゃんさん)というのは正しいと思います。

 綺麗事を言っても仕方ないので、はっきり言います。人事考課と中間管理職ポスト、準管理職並みのスペシャリストポストの導入は、いずれ全国的な流れとなることは避けられません。国の公務員制度改革が始まれば、すぐに全国化するでしょう。

そのような中で働く教員は、一人一人が自分の実践や考え方などの情報発信量を増やして、その中から昇給や昇進とは別の評価を求めていくという姿勢がなければ、本当に学校は駄目になってしまうのではないでしょうか。いや、はやりこれも綺麗事でしょうか、、、。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
なるほど!「発信」は確かにいいですね。
それとなく「発信」している人も多いですから、それは大切なことだと思います。
「応援したい」とおっしゃる方には、是非教員の特性を理解していただき、無用なサービス業務を減らしたり振り替えたりし、有効な教育活動へ注力できるようにしていただきたいと思います。
(教育のシステムを変革する大きな力は教員だけでは不足しています)
そして、共に子どもを育む活動に励めるようにしていければと思います。がんばる教員はもっとがんばる、がんばれると思います。
「教員・学校の(不当な)批判」は、そういった中で淘汰されていって欲しいものだと思います。
「自己評価」の問題に関しては、別な方策もあると思います。
yo
2005/11/15 23:19
しょうもない質問で申し訳ないんですけど、「発信」っていうのはだれにたいして行うんですか?
ゆう
2005/11/16 23:18
だれに?
それは必要が決めることではないかと思います。
親にむけて、社会にむけて、同業者にむけて。
仕事でもないことだけれども、理解を求めていかなければいけない世の中になってきたということ。
「評価してやるよ」いってくる者達の眼鏡ごしには見られるだけでは死んでしまうし、それは仕事ではない。
杓子定規を簡単にすればいいという問題ではないということ。
yo
2005/11/17 22:21
 ゆうさん、コメントありがとうございます。また、管理人に代わって回答していただいたyoさん、大変感謝しております。
 おそらく、ゆうさんは「発信」という言葉に抽象的なきれい事のにおいを感じ取られたのだと思います。
 そのとおり、きれい事ですね。でも、教員一人一人がこれをやるとすれば、実際には非常に泥臭い作業になると思います。そんなことの積み重ねが、いずれ周囲や世の中を変えていくのでは、、、。そう願っています。
カラ
2005/11/18 23:00

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