斎藤剛史の教育ニュース観察日記

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zoom RSS 学校と社会の対立

<<   作成日時 : 2006/06/17 04:35   >>

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 今回は学校と保護者・地域社会の関係についてのお話です。

◎コミュニティ・スクール、取り組みに明暗目立つ(読売新聞6月16日)
「コミュニティ・スクールとして1年活動したある公立中学校で今春、“事件”が起きた。着任1年の校長が突然異動し、学校運営協議会会長の大学教授も辞任したのだ。学校の将来像について考え方が違った。「英語や食育に力を入れて」と求めた会長らに対し、校長は「情操教育が必要だ」と譲らなかった。教育委員会は何度も仲裁に入ったが、両者は最後まで歩み寄ることが出来なかった」

 コミュニティ・スクールは、文科省が新しくつくった公立学校運営形態の一つで、保護者、地域住民、学識者などから市町村教委が選んだ委員による「学校運営協議会」が、教育課程の編成、学校予算計画などの承認権を持つ学校です。最も大きな特徴は、教員の実質的な人事権を「学校運営協議会」が持っていることです。つまり、特定の学校の運営協議会が都道府県教委に対して教員人事に対する要望を述べることができ、都道府県教委は合理的理由がない限りこの意見を尊重しなければならないと法律で規定されています。現在、全国で53校あります。

 で、記事の内容ですが、この学校運営協議会と校長が対立しているところがあり、コミュニティ・スクールとして機能している学校と機能していない学校に分かれているという話です。

 これは、コミュニティ・スクールの話ですが、このような対立は実際に多くの学校で起こっていますし、これからも増加するでしょう。それにしても、、、、、コミュニティ・スクールは日本の公立学校の在り方を変えるものとして、大いに注目していました。正直、文科省がよくこんな制度をつくったと思います。しかし、実際はあまりうまくいっていないようです。

 日本の公立学校、そして社会は、まだコミュニティ・スクールなどという制度を活用できるような段階には至っていないのでしょうか、、、、、考え込んでしまいます。


 ●公立学校は末端機関であり、校長は中間管理職である。
 コミュニティ・スクールの代表的な存在は足立区立五反野小学校でしょう。ここは突出した存在です。しかし、問題もいろいろあったようで過去数年間で何人も校長が代わっています。実際、上の記事にあるように校長と学校運営協議会が対立して、校長が辞任(異動)するということもありました。

 現在の校長は、教育産業出身の民間人校長で、これが同校がうまく機能している大きな理由の一つとなっています。

 なぜ、教員プロパーの校長と学校運営協議会(あるいは保護者・地域住民)は、相性が悪いのでしょうか。おそらくそれは、学校運営に対する意識の違いだと思います。日本の公立学校の校長には、予算権も人事権もありません。いわば上から与えら人と金で最大限の効果を上げることを要求されています。また、公務員の宿命として異動があります。これは、民間でいえばトップではなく中間管理職だと言ってよいでしょう。

 これに対して、校長を経営トップとみなしています。学校は役所の末端機関、校長は中間管理職という実態と、保護者・地域社会の学校と校長に対する意識のずれが多くのトラブルの背景にあると思います。


 ●リアルな現実認識の欠如が「水戸黄門」化を招く。
 学校が悪くなるのはなぜか。理由はいろいろありますが、その一つは教育行政が悪いからです。つまり教育委員会が悪いのです。

 それなのに、学校に要望、クレームをつけてそれが通らないと直接教委に訴える保護者・地域住民は増えるばかりです。これは、悪代官の所業をその黒幕である悪家老に訴えるようなものです。現実問題としてこれで解決してしまう場合もあるのですが、役所の末端機関である学校にはできることとできないことがあるというリアルな認識がないから、その上に位置する教委が悪家老ではなく「水戸黄門」に見えてしまうのです。

 逆に言えば、都道府県教委や文部科学省は悪の権化であり、すべて反対していれば教育はよくなるという考え方も「逆・水戸黄門」だと言えるでしょうか。


 ●専門性はじつは教員にしか理解できない。
 はっきり言いまして、教員は社会の批判を聞きません。これは事実です。ただ、これは一概に悪いことだとも言えません。社会の批判が間違っている場合もあります。

 教員や学校が、社会の批判に耳を貸さない理由の一つに、教育の専門性があります。ですが、専門性がじつは閉鎖性になっていないでしょうか。専門性の陰に隠れて、保護者や地域が要求する面倒なことはやりたくないという気持ちがないか、、、、、、。

 その一方で、学校や教員の専門性というのは、一般人には分かるようで実際には全く分からないという種類のものです。

 この専門性の認識に対する学校・教員と保護者・社会の溝が対立の原因の一つでしょう。ですが、学校や教員の専門性は、子供のため、ひいては社会全体のためにあるのであり、学校や教員のためにあるのではないことだけはお互いに確認できるのではないでしょうか。


 ●学校のために汗をかかない保護者・地域社会。
 欧米の公立小・中学校では、学校運営に保護者や地域社会が協力するのが当然という文化があります。例えば、米国のチャータースクールでは、校庭の監視、給食のつきそい、寄付集めなど年間100時間以上の学校ボランティアが保護者に求められているようなところもあり、そのボランティアが学校運営を支えています。一般の学校でも保護者の学校ボランティアに対する負担感は高いようです。

 これに対して、日本の保護者は口は出すが汗はかかないという人が多すぎる。学校に対する当事者意識が薄い。ただ、これは日本の公立学校の成り立ち、教育行政の在り方にも原因があることですが。


 ●公立学校の実態と社会の意識のずれをどうすり合わせていくか。
 結局のところ、公立学校に対する保護者や社会の意識がどんどん変化しており、欧米型に近くなっているのに、教員人事や学校予算などの教育行政の在り方、そして学校のトップである校長をはじめとする教員の意識は、従来のままであること。

 加えて、保護者や社会に欧米のような学校のために汗をかくのが当然(面倒でいやだが、しなければならないこと、、、、、)という意識が伴わないまま、学校に対する認識、評価だけが欧米型になっていることも問題の一つでしょう。

 これをどう解決していくのか。地域格差、学校間格差が拡大することを覚悟の上で、学校の特色化や地域の特色化を進めて行くのか。あるいは、義務教育の平等性・均一性をより強くしていくか。いずれにしろ、日本の公立学校、特に義務教育は大きな転換点に立っていることだけは間違いないでしょう、、、、、、、という評論家的なまとめしかできませんでした。

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内 容 ニックネーム/日時
 水戸黄門のくだりがおもしろかったです。
学校を通り越して、自治体の教育委員会に殴り込む保護者の話も、こちらの地方にもありがちな話です。
 ただ、結局、自治体の教育委員会というのも、独自に裁定を下すということはないので、県教委にお伺いをたてて、その裁定に従うということになってるようです。
 義務教育費の地方委譲の話のときに、自治体の裁量が今より増えるので好ましいと思った人もいるかもしれませんが、私は逆に、現状の自治体の教育委員会に裁量を増やしたところで、まともにやっていけるのか?と不安を覚えました。結局は、また県教委にお伺いを立てて、他の自治体と歩調を合わせる政策しか、自治体の教育委員会にはできないのではないかと思っています。
謎の中国人ミスターM
2006/06/17 17:42
市町村教委に対する不満は、教育改革に熱心な市町村長からよく聞きます。都道府県教委ばかり見ていて、首長のいうことを聞かないと。

実はこれは文科省官僚も懸念していました。都道府県に強い権限を残したまま教育の地方分権を推進すれば、「中央集権」が「都道府県集権」になるだけで、逆に市町村が困るのではないかと。

ただ、構造改革特区などの取り組みもあり、市町村でもさまざまなことができるという自信を持ち始めた市町村も多くなってきていると思います。

市町村教委とって、都道府県教委はある意味で文科省よりも強い存在です。教育の地方分権も都道府県単位でみるか、市町村単位でみるかで、だいぶ見方が違ってくると思います。
カラ
2006/06/18 20:34
追伸

最近の文科省の補助金や研究指定校などの選定方式を見ると、都道府県を跳び越して直に市町村とコンタクトする仕組みを作ろうとしているのではないかと思えるふしがあります。

地方分権時代の義務教育改革で、文科省が直接市町村に影響力を及ぼせるようにしようとしているのではないか、、、、もちろん私の妄想ですが。でも、文科省官僚はこの手のことにはしたたかですからかねぇ。
カラ
2006/06/18 20:41
TBを貼らせていただきましたが、教育特区でなんとかしようという動きは、わたしの周りでもあります。お金持ちの自治体ですが、(笑)
 ここの自治体は、特区申請で、今年の4月から村独自で先生を採用しはじめました。首都圏の学校のように、小人数制学級を遂行するためではありません。元々、小中学生の人数は少ないので、去年から、実質20人学級になっていました。
 また、特区申請で、小学校から英語の授業を、週に1時間やりたいそうです。(笑)
 別に、特区を申請して、村独自の政策をすることに意見はありませんが、ここの村、先にも書いたように、補助金でお金は結構持ってるんです。そこで、3年ぐらい前より、中央の教育コンサルタントと称する会社が、村のコンサルタントをしています。特区もいいですが、この村の場合、特区でなくても、現状でもやれる改革案があると思っていますが、どうやら、他とは違うことをやってみたいだけのようです。政策の結果をマッタリと見守ろうと思います。(笑) 
謎の中国人ミスターM
2006/06/19 09:50

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