斎藤剛史の教育ニュース観察日記

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zoom RSS 教員給与の行方・その1

<<   作成日時 : 2006/08/26 01:43   >>

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 ごぶさたしてました。今回、取り上げるニュースは特にないのですが、教員給与の行方について、これまでの動きを少しまとめておきたいと思います。

 なぜ教員給与の話を取り上げるのか。それはなんだかんだ言っても仕事とは、お金を稼ぎ、生活するためものであるからです。社会や家庭は、公立学校に多様な要求をしています。その是非はともかくとして、教員の資質能力が優れているに越したことはありません。その意味で、教育改革に力を入れる時には教員給与を上げるというのが世界共通のやり方の一つであることは明らかです。

 それなのに、この国は今、公立学校教員の給与を引き下げようとしています。財政事情で政府がそうすることはある意味当然かもしれません。ただ、私が問題にしたいのは、それを社会が歓迎しているということです。そんなことはないと言う方もいるかもしれせんが、組織つながりの関係者以外の声をよく聞いてみてください。多くの人は、公立学校教員の給与引き下げを当然と受け止めています。

 教育の質を高めろと求める一方で、教員給与の引き下げの話に、ある意味で溜飲が下がる思いを感じる。そして、それを矛盾とほとんど感じていない。マスメディアでさえ、この流れに迎合している。これはいったい何なのでしょうか。

 社会のほとんどが、学校や教員にルサンチマンを持っているとしか思えません。

 優秀な教員を厚遇し、そうでない教員は給与を下げるのと当然という見方もあるでしょう。しかし、今回の給与見直しは、教員給与全体の削減が前提になっています。全体の人件費抑制が目的で導入された給与の成果主義が実際にどんな結果を招いたか。民間企業に勤める人間ならば、知らないはずはないでしょう。

 重ねて言います。教員の資質を上げるための給与制度の改正と、給与削減は全く別な話のはずなのです。にもかかわらず、今回の給与制度見直しでは、全体で何%削減という数字が出なければおそらく社会は納得しないでしょう。

 いくら教育制度を改革しても、実際に教えるのは人です。文部科学省の統計によると、大卒レベルの一般公務員給与(残業手当込み)と、制度的にいくら働いても残業手当が出ない公立学校教員の給与の差は、2・76%です。これは許されない差なのでしょうか。

 ちなみに、文科省の試行調査によると、公立学校教員(小・中学校)の教員の1カ月間の超過勤務時間は、平均65時間46分、持ち帰り残業は20時間32分(いずれも週当たり時間より推計)となっています。

 少し長くなりましたので、給与をめぐる動きはまた次回に。

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コメント(7件)

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教員の超過勤務時間が長いのは教員の教える仕事以外に余計な仕事が多すぎるのではないか、だから学校が分業制になれば良い、たとえばセキュリティの保全については警察や警備会社の人が入れるようにすればよい。ほかにも教える仕事と無関係なこと(部活の顧問や修学旅行の引率など)は教員にはさせないほうがいいのではないか、というか教員の側のほうから自分たちの仕事は教えるだけなのでありそれ以外の仕事はひきうけられないと文部科学省などに意見の表明ができればよい、教師に荒れる生徒の懲戒などの警察の代理行為などさせるべきでない。分業が徹底するとお金がかかるのですが。教員給与の話題とずれますがそんへんどうでしょうか。
かかか
2006/08/28 09:39
仕事はキツイし
給料は下がるんであれば
こんな仕事はやってられまへん。
なので、アーリーリタイアメントを
考えてます。
silvia
2006/08/28 21:38
かかかさん、コメントありがとうございます。授業以外のことは仕事ではない…おそらく教員の多くはそう考えているでしょう。そして、もしそうなったら大変寂しいとも思ってるのではないでしょうか。

塾や予備校の教員の仕事は、比較的楽に定義できるし仕分けできると思います。でも、それができない、あるいはそれを許さないのが今の家庭であり社会であり学校であるのではないでしょうか。

そもそも万引きをつかまえたら、店は親ではなく学校に連絡してきます。親が出てくるとこじれて大変なことになるので。

教員にとって授業以外の子どもとのかかわりにも教育である。だとしたら、教員の仕事とは何か。これは難しい問題です。

silviaさん、私は教員ではないので何ともいえませんが、教育は大事にされるが教員は大事にされないというのは、やはり間違ってますよね。
カラ
2006/08/29 03:08
カラさんお返事ありがとうございます。このブログのゼロトレランスについての話題の箇所で触れられていたように、日本社会では米国のような契約というルールへのリアリティがあまりないのでしょう。だから教員自身が多少不本意だとしても社会や親が教員に授業以外のことを引き受けさせてしまうのかもしれません。  契約というルールが日本人にはリアリティが薄いという指摘はたとえば精神科医の中井久夫が『精神科治療の覚書』日本評論社1982年で観察していた。                あるいは劇作家で犯罪評論家の別役実も『現代犯罪詣で』三一書房1996年や『犯罪の見取り図』王国社1994年などの中で指摘しています。内容についてはここでは触れられませんが、機会があれば読んでみるのも面白いかもしれません。                
かかか
2006/08/29 23:56
教育に割く予算を削りながら、勤務内容の評価>給与への反映という民間企業的発想を、導入しようとする流れが、教育の質の向上につながるかどうか?そもそも民間では、自分たちががんばった分だけ、組織の業績アップにつながり、自分たちの給料に反映されるという仕組みがあるかも知れませんが、教育については、現場ががんばったからといって、行政の教育に割く予算が増えるとは限らないでしょう。予算というのはプライオリティーの問題で、生活に絶対必要なところから決まっていきますから、結局のところ少ない決まったパイを現場の先生同士で取り合いさせて、格差と不公平感助長するだけで、かえって現場のやる気を削ぐ方向に行くのではないかと思うのですが…。どうでしょう?
domo
2006/08/31 18:21
かかかさん、再び丁寧なコメントありがとうございます。
だいぶ以前は学校教育のスリム化論というのが、はやったことを思い出しました。なんでも学校が引き受けるのではなく、きちんとやれることを明確にして、あとは家庭や地域に返そうという論旨でした。地域や家庭の教育機能の崩壊で、学校スリム化論は自然消滅してしまいましたが。

話は全く変わりますが、私は日本の社会では欧米のような契約社会がリアリティを持つことはないのではないかと思うのですよ。いい意味でのなれあいが日本の特質でもある。

その背景には、一神教、いわゆる神との契約という思想がないからではないかなどと、飛躍したことを考えています。三一書房、日本評論社、なつかしい名前です、、、、特に三一は。
カラ
2006/09/03 00:05
domoさん、コメントありがとうございすま。頑張っている人が報われるという意味で、成果主義自体は決して悪くないと私は思っています。ただ、おっしゃるように日本の成果主義は、結局、人件費削減という狙いから出たもので、そんなんじゃうまくいくはずがない。

好景気とはいえ、恩恵にあずかれる人はごく限られ、その不満のはけ口が公務員批判、教員批判になっているのではないでしょうか。なんかみんなが石をぶつけられる相手を探しているような社会はいやなものです。
カラ
2006/09/03 00:14

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