斎藤剛史の教育ニュース観察日記

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zoom RSS 道徳の教科化報道の狙いは

<<   作成日時 : 2007/04/03 14:15   >>

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 ごぶさたしました。年度末で仕事がかなりハードでした。その間に世の中はいろいろと動いているようです。教科書検定というメジャーな話はほかに任せるとして、ちょっと遅れましたが道徳教育の話を。


◎統一地方選前のアドバールーンではないか?
 ○道徳、「教科」に格上げ案 教育再生会議分科会が提言へ2007年03月30日
 ○道徳の教科化、文科相が慎重姿勢示す2007年03月30日

 教育再生会議の分科会が道徳を教科にすることで一致したというニュースは、各紙で大きく取り上げられました。安倍政権の性格を踏まえれば、やはりと思う人は多い。まあ、賛否は分かれるところですが。

 しかし、伊吹文科相も言っているように、ことはそう簡単ではありません。そもそも「道徳」なるものが、教科として成り立つのかといえば非常に疑問が多いのは教育関係者でなくても分かることです。

 私は、道徳の教科化は難しいことを承知の上でぶち上げたハッタリだと思います。統一地方選も間近ですからね。

 統一地方選前に道徳教育の充実ということで、一番インパクトがある教科化をぶちあげる。

 次に、参院選に向けた5月の教育再生会議第二次報告では、道徳教育の充実をメーンにして、その具体的方法として教科化を「今後の検討課題」として挙げておく。しかし、マスコミは教科化に再び飛び付くので、参院選向けのアピールには十分なる、、、という筋書きです。

 その根拠は、
 ○この件の記者会見をしたのが元文科事務次官の小野氏であること。山谷えり子じゃあるまいし、いくら何でもこの人が道徳の教科化が無理であることを知らないはずがない。それにこの人は、マスコミを利用して身内に揺さぶりをかけるということを時々やる人です。

 ○5月の第二次報告で、道徳を教科にすると明記すはれば、文科省が今年度中に予定してる学習指導要領の改訂は、確実に1年遅れます。いや、中教審での審議がもめることも考慮すると、2年は遅れるかもしれない。
 それでなくても、教育再生会議ができたために大幅に遅れている学習指導要領の改訂をこれ以上遅らすことはいくらなんでも限界でしょう。つまり、教育再生会議の第二次報告では学習指導要領の改訂作業を大幅に見直すことになるような問題は、出てこないというこです。


 ◎ただし、道徳教育の充実は確実に迫られる。
 教科化は別にしても、道徳教育の充実は確実に第二次報告に盛り込まれるでしょう。しかしこの程度は、文科省はとうに織り込み済みのはずです。

 「心のノート」の利用率のアップ、道徳の年間計画の策定と授業時間数の確実な確保などを小・中学校は迫られ、たぶんそのチェックもされることになりますね。

 最大の焦点となるのは高校です。現在、高校には道徳の時間がありません。これを何とかしたい。おそらく、道徳の教科化をぶち上げた本当の狙い、問題の本丸は高校への道徳教育の導入ではないでしょうか。


 既に茨城県では、高校で学校設定教科・科目(学校独自の教科・科目として設けられる時間)や総合的な学習の時間などを使って、道徳を実施することを必修化しています。東京都も同様に「奉仕」の必修化でボランティア体験などを導入しています。これと同様のことが全国の高校で行われることになると思われます。

 問題はその具体化のための方法ですが、学習指導要領に書き込むとやはり面倒ですし、改訂作業が遅れます。また、国が一律に基準を決めるのは何かと問題が起こる可能性が高い。となると、具体的な中身は都道府県教委や各高校に任せる(当然、文科省は参考となるガイドラインをつくる)として、学校教育法施行規則あたりの改正でしょうか。

 この手の問題は、これまでなら学校現場で[実態に応じて」いかよにうも対応できたのでしょうが、いかせん昨年末の「未履修問題」で高校現場は首根っこを押さえられてますから「形だけやっていることにする」のは難しい。

 こう考えると、昨年末の「未履修問題」は、本当にタイミングがよかったというか悪かったというか。

 道徳の教科化の報道は、反対陣営が騒げば安倍政権の姿勢を鮮明にできる、騒ぎが少なければ高校を含めて道徳教育の充実を学校現場に着実におろすこととができる。考えてみれば、なかなかの高等戦術なのかもしれません。



 それにしても、マスコミの報道は小さかったですが、大事なニュースがあります。
 ○教員給与の優遇「維持を」 中教審が答申
○教育関連2法案を閣議決定 今国会で3法の成立目指す

 教員給与の見直しをしていた中教審でいよいよ答申が出た。おおよその中身は分かりますが、やはり答申内容をきちんと読まないとなんても言えない。

 同様に、教育改革3法案が閣議決定され国会に提出されましたが、この中でも学校教育法改正案と地教行法改正案には、見た目では分からない「隠し球」が入っている可能性が高いです。

 でも、いずれもまだサイトにアップされていないのです。この2・3日、このせいでイライラしどおしです。


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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
なるほどなるほどと感心しながら読んでいました。「道徳の教科化」が新聞に出たときは?????と思いました。教育関係者ならそんなこと無理に決まっているのに、一般向けに道徳の意義を訴えたいのかな?とか躾を学校でさせたいのかななどと考えていました。
高校への道徳導入か選挙用ですか。なるほど。
隠し球にも興味があります。

この記事と「武士道」を交互に見ていて日本という国は本当に特殊な国なのだと感じました。先進国で宗教教育や自国の優位的な歴史教育をしていない国がこれまで発展してきたのですから。それを支えてきた「武士道」的なそこはかと薫日本らしさが消えつつある日本はこれからどこに向かうのか興味津々です。
自分を振り返ると武士道的な考え方を時代劇や映画漫画から学んできた気がします。水戸黄門、東山の金さん、桃太郎侍、吉宗、次郎長、大河ドラマ、226事件、などなど今は藤沢周平でしょうか。こういうものが一部の人にしか見なくなったことで武士道的な日本らしさが失われてきたのかなと感じています。勝てばいいんだという雰囲気が強すぎる気がします。特に選挙、外交(北朝鮮、ETC)
so
2007/04/03 16:55
soさん、コメントありがとうございます。道徳を教科にすることは反対ですが、道徳教育を充実させることは必要だと思っています。ただ、どんな道徳かは、議論のあるところですが。

武士道についてもある程度精査する必要があると思います。というのも元禄時代あたりを境にして武士道は大きく変質しているのです。戦国時代の古武士と江戸時代の武士では、明らかにメンタリティーが異なります。そもそも「葉隠」は、最近の武士は駄目だという嘆き節ですから。武士道というのも実はすべての部分が普遍ではないのですね。
カラ
2007/04/04 01:30
武士道についてのカラさんの見解楽しみです。

武士道が書かれた時代であってもやはりいろいろな社会風紀的な問題があったのだと思います。だから、武士道が生まれたのだと思います。今の時代の問題は流れが速すぎることです。そして、外来種問題のような固有種が暗黙の了解の元で守ってきたものを弱点として責めてくることです。その対策として固有種も外来種化することだと思っています。

でも、いろいろなものが混じり合えばそれも(宿命)なのかな????

武士道は世界に輸出できる貴重なものだと思っています。その精神を映像や文字、仕草、習いもの、で表現できるほどに成熟したものだからです。日本の特産品として大事にしてほしいものです。総合的な学習で取り上げられないかな。
so
2007/04/04 08:04
soさん、悪いのですが私は武士道に歴史的興味以外のものは持っていません。江戸初期までは別にして、それ以降の武士道は「飼い犬のための道徳」です。幕末から明治以降の武士道は、武士になりたかった人々のルサンチマンが生み出した幻想です。
しかし、人口の1割程度だった武士階級の倫理規範が、なぜ国民的ものといわれるようになったのかは興味深い問題ではあります。日本人の大多数は武士と関係ないのに、いつのまにか自分を武士だと思っている。これは思議なことです。私は、映画やドラマのオープニングでいつもすぐに殺される農民がたぶん自分の実像だろうと思ってます。
カラ
2007/04/04 17:35
道徳は、23の内容項目に基づいて道徳的価値に「気付かせる」ものであり、強要するものではないことは、学習指導要領にも継起されていますし、現場の教員ならば当然知っていることです。
 道徳教育はすべての学校教育の場で行われているが、教員も生徒とともに道徳的価値に気付き、ともに共感できるようにするその要の時間が道徳であることを一般社会にアピールしていない文部科学省の責任は重いです。
 道徳を知らない人が多すぎると言うより、道徳が何かを知らせていない、これを何とかして欲しい。
ましと
2007/04/06 12:30
ましとさん、コメントありがとうございます。問題となった教育再生会議の会合の議事概要がアップされました。それを見ると、道徳の教科化というよりは、「徳育」あるいは「生き方科」といった新教科を構想している節があります。杉並区立和田中学校の「よのなか科」が大きく影響しているようです。
どうやら、道徳=教科化と考えている委員と、社会規範を含む生きるためのスキルを学ぶ新教科を考えている委員がいるようです。
カラ
2007/04/07 02:37
「人口の1割程度だった武士階級の倫理規範が、なぜ国民的ものといわれるようになったのかは興味深い問題ではあります。日本人の大多数は武士と関係ないのに、いつのまにか自分を武士だと思っている。これは思議なことです」

これについて思いつきですが。
江戸時代。大名の取りつぶしで多くの浪人が農工商人(以後市民と呼びます。)になりそれまでの武士の文化を市民に広げました。年が経つにつれて婚姻が進み市民にも武士の文化が進んだのでしょう。江戸時代の武士道ですが戦国時代までは戦場でその精神が育まれ伝承していったものが平和な江戸時代その文化を引き継ぐには文章化する必要があったのではないでしょうか。そこに儒学仏教神学などがその理論づけをし武士道のようなものができたのではないかと思っています。
so1
2007/04/10 22:34
すいませんでした。二重投稿してしまいました。
明治以後、廃藩置県が武士道を市民に根付かせるのに一役買ったのではないでしょうか。一割の武士の殆どが市民になりました。1対9ですから数世代後には市民に武士の血(知)がかなりの割合で混ざり武士道の精神が伝わりやすい条件が整ったのではないでしょうか。単一民族、右むけ右が通じる民族性もあったのではないでしょうか。そう考えると他の民族とはやはり違った文化だと思います。  

武士道ですが今では「日本道」のようになっていると思います。
so2
2007/04/10 22:35
sqさん、コメントありがとうございます。しかし、私は武士道を「日本道」とも思ってませんし、ましてや日本が単一民族国家であるとも思っていません。
重ねて言いますが、朱子学以降の武士道は「飼い犬のための道徳」です。ついでに言えば、明治以降、武士道は実質的に忘れられていました。新渡戸稲造の「武士道」が逆輸入され、それが当時の強兵政策にマッチするため広がったものです。私は、正直、「ラスト・サムライ」程度の認識で武士道を振り回す現在のブームに辟易しております。せめて「葉隠」程度で語ってもらいたいものです。
 ついでに申せば、商人も農民も非常に高い倫理観を持っていることを裏付ける文書はくさるほどあります。
カラ
2007/04/11 04:33

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