斎藤剛史の教育ニュース観察日記

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zoom RSS 全国学力テストと競争主義・主張編2

<<   作成日時 : 2008/12/31 18:43   >>

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 今年最後のブログとなりました。ということで、この問題を片付けておきたいと思います。

 ところで、鳥取県で学テの市町村別・学校別の成績公開を念頭に置いた情報公開条例の改正案が成立したり、秋田県では市町村名を明らかにした成績公開が行われるなど、どんどん公開に向けた動きが進んでいます。

 前回も書いたとおり、学校別・町村別に成績を公開すれば、競争主義により全体の教育がよくなるということは、義務教育単会の公立学校においてはほとんどあり得ません。

 では、学テの成績公開についてどう考えるか。以下が私の提案です。

 @学テの成績は原則として公開すべきである。
 学テの成績は、間違いなく行政情報です。その公開を拒否するのは時代の流れに反します。


 A公開は市町村が行うものである。都道府県が行う場合、成績の悪かった市町村に対する補助金などの増額・人員の加配などの施策を必ずセットとする。
 公立小・中学校の第一義的責任者は市町村です。それを差し置いてどうして都道府県が公開できるのでしょうか。そこには、市町村より都道府県のほうが偉いという感覚がうかがえます。
 文科省による公開差し止め要望を地方分権に反すると非難した知事がいましたが、都道府県は市町村をどう扱ってもかまわないと思っているような者に地方分権を語る資格はありません。そのような考え方は、「地方分権」ではなく「中央集県」です。
 また、都道府県が市町村別の成績を公開するのであれば、それは結果の悪かった市町村に対してどういう支援を予算や人員の面で講じるのかという都道府県レベルの施策とセットでやらなければ、あまりに無責任とうものでしょう。繰り返しますが、信賞必罰的なテスト結果の良い市町村を優遇するのでしなく、結果の悪かった市町村を支援する施策が必要です。


 B市町村は原則として学テの結果を公開すべきだ。さらに、学校別の結果公開は各学校の教育支援方策とセットで行うべきだ。
 行政情報である学テ結果は、市町村が堂々と公開すべきです。たとえ全国平均より低かったとしても、それが事実であれば隠すことはないでしょう。教育行政で市町村が行えることは限界があるという声もあるでしょうが、事実を住民に公開しない自治体が、まともな教育行政をできるとは思えません。客観的事実を公開し、それについてどうするかを示すことが行政の仕事です。
 ただ、各学校別の成績を公開するためには、結果の悪かった学校をどう支援するのかという施策をセットに公開するべきです。



 単に数学・算数と国語のテストに過ぎない学テで、全体の学力は測れるものではありません。しかし、義務教育段階の公立学校教育において、学テ成績の悪い市町村、学校があるというのは致し方のない事実なのです。

 それを公開すれば、過剰な競争主義におちいり学校教育が荒廃するという教育関係者の懸念は当然でしょう。

 しかし、学校不信、教員不信がまん延している現在、情報を公開しないというとこは、学校や教員への不信感を増幅させるだけです。ならば、事実を事実として受け止め、なぜそうなったのかをきちんと分析し、それに対する行政的な対応をすべきなのです。そして、その対応施策とは何度も繰り返しますが、成績の悪かった市町村、学校を支援するものでなければなりません。成績の良かった市町村や学校は、研究指定校にして、大勢が視察に訪れることに対応できる経費をつければよいでしょう。

 ◎地方分権、規制緩和の名の下に、教育予算はどんどん交付税化され、学校現場に回らなくなっています。
 ならば、本当に予算や人員が必要なところ、学校はどこなのか。それを明らかにして、必要なところに予算・人員を回すことが学テの成績公開の意義だと思います。


 もし、それができないまま公開だけが進めば、それこそ百害あって一利なし。即刻、学テは廃止すべきです。


 来年はますます厳しい年になりそうです。それでも願わずにはいられません。どうか、来年は良い年であるますようにと。それでは皆さま、良いお年をお迎えください。
 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
いつも楽しみに記事を読ませていただいています。今回の主張のように成績公開がある場合、学テ対策の時間を多く割き、試験勉強を行わざるを得ないと考えています。現在の勤務校は学テの結果がかなり劣り、そのまま公開すると地域の方からの不満や反発は避けられません。それで人員等厚くしてもらえるならありがたいことですが、何が何でも成果を出さなければならない状況になるでしょう。正直、公開があるならば、テスト前は国算の学力テストの点数を上げることだけに力を注がなければならないと思っています。それは本来の教育の目的とずれていると思いますが、テスト結果が出ないと地域の信頼を失いかねません。ただ点数を上げるだけなら本来の教育課程を削って模試や予想問題をしますが、それで本当にいいのでしょうか。地域による教育熱、塾通いの差などありますが、結果公開すれば1位からビリまではっきりするわけです。全国最下位になったりしたら普通に学校経営できるんですかね?
syougakukyouin
2009/01/01 02:56
なんとなく落としどころが見えていたので、少し残念でした。

なぜかというと、カラさんの主張は、学テについて一面的だと思ったからです。

もちろんご主張の「公開と予算などのセット」の理屈は筋があると思いますし、現段階でまず乗り越えたい部分である点は理解できます。
そういう肯定的な部分はさておきでの私の感想です。

学テの結果によって評価される学校というのは、果たして予算、人員の問題だけが課題なのかという点について考えたとき、さらに踏み込む機会を失する、あるいは対応を遅らせてしまう気がします。
具体的には、地域の問題があると思うのに、それを学校に負わせていく側面を強調するようにも聞こえます。

学テもそうですが、なんでも学校にという風潮をまず止めることが前提でないと、まずいのではないかなというように私は考えています。
別に学テでなくてもいいですが、やはり行政側の総括は前進のために必要だと思っています。

ただ、私の理想は、学テなどの行政側から教育側への介入チックな部分にはないことは付け加えておきます。

yo
2009/01/01 11:49

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