ゼロトレランス

 今日は生徒指導のお話。アクセス記録を見ると、ゼロトレランスで検索してここに来ている方がけっこう多いようです。というわけで、ゼロトレランスについて、というよりもゼロトレランスをめぐる議論について取り上げたいと思います。


◎国立教育政策研究所が「生徒指導体制の在り方について」という報告書をまとめました。これは一部で文部科学省がゼロトレランスの導入を求めたものというニュアンスで話題になっています。また、報告書は公立学校全部に配布するそうです。


 昨年のこのブログでも取り上げましたが、長崎の少年事件を契機に文科省は問題行動ププロジェクトチームをつくり、ゼロトレランスの導入を含む生徒指導の在り方の研究をはじめました。報告書のその一環です。
 ということならば読まざるを得ない、、、と気合を入れて読んでみたのですが、なんか肩透かしを食ったような気分です。あれだけゼロトレランス導入でマスコミを騒がしておいて、結果がこれなの、、、という感じ。率直に言って、ごく常識的なことを述べているにすぎないような気がしました。そう長いものではないので、暇なときに飛ばし読みしてください。


 ●そもそもゼロトレランスのイメージが曖昧すぎた。
 文科省がゼロトレランス導入とマスコミが騒いだときから、賛否両論が渦巻きました。しかし、よく考えたら米国のゼロトレランスの実態をどれだけ理解してみんな議論していたのでしょうか。実はみんな勝手なイメージ先行だったのではないでしょうか。

 まあ、いろいろな説はあるでしょうが、報告書は「(問題を大きくしないように)小さな問題行動に対して指導基準に従って毅然とした態度で対応する理念」と説明しています。


 ●報告書のキーワードは、「規範意識」「公平・公正」「ぶれない指導」「毅然とした指導」
 報告書自体は、ゼロトレランスに限定しているわけでなく、今後の生徒指導の在り方についてまとめています。その背景にあるのがゼロトレランスの理論であることは間違いないと思いますが、、、、。

 私なりにまとめると、ポイントは次のようになると思います。
 ①現在の問題行動の原因の多くは、子どもに規範意識が欠けていること。だから、生徒指導にあたっては、規範意識の育成を最大の目的とする。(規範意識)
 ②問題行動の指導にあたっては、どんな問題行動にどんな指導(懲戒)をするかという指導基準を明確化し、それを保護者と子どもに周知する。(公平・公正)
 ③全教職員が指導基準を理解し、教員により対応が異なる、あるいは子どもによって指導(懲戒)が異なるなど公正さを欠くことがないようにする。(ぶれない指導)
 ④ささいなことでも見逃さず、また臆することなく指導基準に従って指導する。(毅然とした指導)


 ●これは、ほとんど生徒指導の常識ではないか。
 報告書は、いろいろと書いてあるので、はしょります。まあ、ある立場の人や専門家が見れば突っ込みどころ満載でしょう。

 でも、ゼロトレランスはいけないとか騒ぐ前に、上に上げた4つの事項を素直に見ると、ほぼ生徒指導の常識(だからとってみんなやっているわけではないですが)、、、、ではないか。

 唯一、日本の学校であまり指摘されなかったことは、指導基準の明確化とその周知でしょう。とくに周知ですね。私は大昔、内規だから外部のものには見せられないと取材先の学校であしらわれたことがあります。


 ●実はゼロトレランスにもいろいろあるらしい。
 ゼロトレランスは「寛容ゼロ」と訳され、厳格な生徒指導、校則違反数回で退学にする生徒指導などのイメージで語られています。しかし、最近、米国の紹介本などを読んでいて感じたのは、これは日本の生徒指導のやり方、少なくとも昔の生徒指導の感覚ではないかということでした。

 例えば、ゼロトレランス導入によって、服装の乱れを指導することにしたというケースがありました。学校は子どもの私的領域にはかかわらないという米国にとっては、公立学校がこういうことをするのは驚天動地のことのようです。あとは、遅刻数回で清掃ボランティアをさせるとかもありましたが、自慢じゃないけど私、昔、遅刻三回で掃除当番やらされましたよ。米国では子どもが学校の掃除をすることはほとんどないそうです。

 つまり、一口にゼロトレランスといっても、マスコミで報道されているような即退学という例もあれば、日本の(昔の)日常的生徒指導のようなものもあるというのが、どうやら実態に近いのではないでしょうか。


 ●ゼロトレランスは、必要ならばやればよい。
 正直に言えば、報告書にあるような毅然とした指導、ぶれのない指導というのが、厳しい生徒指導だとは、私には思えません。逆に、毅然とせず、教員によりぶれがある生徒指導のほうが問題だと思うほどです。

 といっても、ゼロトレランスの方法にはいろいろありますから、もし児童・生徒の実態に即して、それが必要だと学校か自ら考えて実行するならば、かまわないと思います。しかし、それには、指導基準の明確性に加え、妥当性、さらに子どもと保護者も交えた論議の上で、周知徹底されるということが最低限の条件です。もちろん、体罰は禁止です。懲戒はありです。

 ●文科省がゼロトレランスを進めることには反対。
 文科省が音頭をとってゼロトレランス(言い方はいろいろあるでしょうが)を推進することには、反対です。そもそも、日本全国の学校すべてがゼロトレランスを必要としているわけではないでしょう。必要なら自分たちで実施する。それで十分です。

 こういうと、理想論だとか、現場を知らないとかの反論がくるでしょう。では、問いたい。必要ならやればよいと言っているだけなのに、なぜ行政から言われないとできないのですかと。

 生徒が既に手に負えない、もう生命の危機を感じる、そんなこをやったら保護者や議員から突き上げがくる、生徒指導部だけにおしつけてみんな逃げる、、、、、、そんな悩みが現場にあることは確かでしょう。

 でも、自分たちで「毅然とした指導」「ぶれのない指導」ができない学校が、行政による推進を求めて、その後ろ盾でゼロトレランスをしたら、、、、私はこちらのほうが怖いと思います。



  ●規範意識を育てるということの危うさは自覚する必要がある。
 私は、報告書が提言している規範意識の育成という方針は間違っているとは思いません。しかし、教育基本法改正問題もあるように、生徒指導をてこ入れして子どもに規範意識を国や学校が叩き込むのかという懸念もあります。

 でも、そんなことを言っていたら、実際には教育なんか成り立ちません。学校が指導すべき規範意識とは何か。それを学校と保護者が真摯に考える、、、としか今のところ言えません。



  ●蛇足、、、、出席停止はおそらく増えない。
 報告書は、必要ならば小・中学校でも出席停止をためらうなと求めています。ただし、適正な手続き、保護者の弁明機会の設定、出席停止中のきめ細かい指導などが必要だとも書いてあります。

 逆説的ですが、こんな面倒なことができる学校では、出席停止などの対象になる問題行動は起きないはずです。だから、文科省が出席停止を利用しろといってもたぶん増えません。


 ●再度蛇足、、、、ある意味で教師と子どもの人間関係が密すぎることが問題か。
 米国や英国の生徒指導などの例を調べていて思ったのは、制度だけみてもわかないということです。例えば、年間授業日数ですが日本は欧米に比べて少なくはありません。逆に多いです。しかし、欧米の学校では運動会の練習などの日数確保で学校が悩むことはありません。そもそも、学校行事なんかほとんどないからです。

 これに対して、日本の学校は学校行事、部活指導、給食指導、生徒指導、果ては万引き事件の後始末まで、実によく生徒の面倒を教員がみています。おそらく、ここでの有形無形の指導が日本の学校教育の大きな特徴です。

 翻って言えば、これほど授業以外でもさまざまな指導する日本の教員が、生活指導や生徒指導など教員の仕事ではないと思っている欧米の教員のための制度をまねする必要はないのではないか。逆にまねしたら大変なことになるのではないか。

 だんだん話が脱線してきたので、今回はこのへんで。

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この記事へのコメント

app
2006年06月26日 14:09
アメリカに住んでいたとき,高校を3回遅刻した日本人留学生が退学となったという事例に出くわしたことがあります。その当時はアメリカって厳しいなあと思いましたが,学校の教員は子どもを強く叱るわけでなく,3回の遅刻とか,宿題を何度忘れたとか,事実をつきつけてそれに見合った処分を淡々と下していた感じですね。同じようなことで,幼稚園などは,子どもを迎えに行く時間に3度遅れると退園処分という規定になっていましたね。
こういう事例もしばらく住んでいるとごく当たり前の感覚になってきて,ゼロトレランスは文化が前提だなあと思いますね。法に対する意識とか,自己責任という感覚とか,学校教育の位置づけとか,もうほんと文化ですね。
こういうものが日本文化の中で実行されると服装がどうとか,髪型がどうとかになるんでしょうね。
高校教師@コロラド
2006年06月27日 05:57
初めまして。
僕はアメリカの高校で教えていますが、Zero Torelanceというのは、いい感じで動いています。自己責任の国アメリカでは、いい制度だと思います。
ただ、日本では、どうなのか。appさんも書いていますが、服装とか髪型などに厳しくなって、本当の意味での「寛容のゼロ」ではなくなる気がします。
もっとも自分のクラスでは、遅刻したら、そのときの黒板を消す、教室の整理整頓、遅れて来た分だけ、教室に残して雑用をさせます。親に早速電話をする先生もいるようです。

各学校によって、度合いが違うのも、アメリカの特徴というべきでしょう。(うちの高校は遅刻欠席が多くても、退学にはしません。)
ところで、このブログをリンクさせてもらってもよろしいですか??
よろしくお願いします。
カラ
2006年06月27日 14:08
appさん、高校教師@コロラドさん、コメント本当にありがとうこざいます。私は、海外の実態を資料でしか知らないので、とても助かります。あとリンクフリーですので、ご自由に。

結局、ゼロトレランスっていうのは、契約主義、個人主義、自己責任といった社会が前提にあるのでしょうね。

でも、問題行動とそれに対応する処罰一覧を生徒に明示して、それに基づいて価値判断抜きで抜きで淡々と実行していくというのも、ある意味で熱血や道徳、あるいは管理を押し付ける日本の生徒指導よりも現代の日本の子どもたちにの気風に合っているような気もしないでもないですね。
齋藤
2007年05月24日 05:53
養心の会が発行している『「大変」が、大きく変わるチャンスでした。』という本があります。元校長先生の書いた本なのですが素晴らしい本です。奇麗事を並べることなく、ゼロトランスについても書かれています。是非お読みになってください。
 私は(上記の本にも記してありますが)ゼロトランスという考えがいらない学校の先生が(ようするに良い学校の先生)がひどい学校の先生の気持ちを理解することは難しいと思っています。ひどい学校の人間としてゼロトランスを採用できる環境を早く政治家の方々につくって頂きたいと思っています。

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    Excerpt: 「ゼロトレランス」という言葉を最近耳にすることが多くなってきました。これは、英語の「トレランス(tolerance)」=「寛容」が、「ゼロ」であるということで、「不寛容」の姿勢で臨むということを示す言.. Weblog: ニュース旭中(旭川中学校ブログ) racked: 2006-09-18 19:54