教員給与の行方・その1
ごぶさたしてました。今回、取り上げるニュースは特にないのですが、教員給与の行方について、これまでの動きを少しまとめておきたいと思います。
なぜ教員給与の話を取り上げるのか。それはなんだかんだ言っても仕事とは、お金を稼ぎ、生活するためものであるからです。社会や家庭は、公立学校に多様な要求をしています。その是非はともかくとして、教員の資質能力が優れているに越したことはありません。その意味で、教育改革に力を入れる時には教員給与を上げるというのが世界共通のやり方の一つであることは明らかです。
それなのに、この国は今、公立学校教員の給与を引き下げようとしています。財政事情で政府がそうすることはある意味当然かもしれません。ただ、私が問題にしたいのは、それを社会が歓迎しているということです。そんなことはないと言う方もいるかもしれせんが、組織つながりの関係者以外の声をよく聞いてみてください。多くの人は、公立学校教員の給与引き下げを当然と受け止めています。
教育の質を高めろと求める一方で、教員給与の引き下げの話に、ある意味で溜飲が下がる思いを感じる。そして、それを矛盾とほとんど感じていない。マスメディアでさえ、この流れに迎合している。これはいったい何なのでしょうか。
社会のほとんどが、学校や教員にルサンチマンを持っているとしか思えません。
優秀な教員を厚遇し、そうでない教員は給与を下げるのと当然という見方もあるでしょう。しかし、今回の給与見直しは、教員給与全体の削減が前提になっています。全体の人件費抑制が目的で導入された給与の成果主義が実際にどんな結果を招いたか。民間企業に勤める人間ならば、知らないはずはないでしょう。
重ねて言います。教員の資質を上げるための給与制度の改正と、給与削減は全く別な話のはずなのです。にもかかわらず、今回の給与制度見直しでは、全体で何%削減という数字が出なければおそらく社会は納得しないでしょう。
いくら教育制度を改革しても、実際に教えるのは人です。文部科学省の統計によると、大卒レベルの一般公務員給与(残業手当込み)と、制度的にいくら働いても残業手当が出ない公立学校教員の給与の差は、2・76%です。これは許されない差なのでしょうか。
ちなみに、文科省の試行調査によると、公立学校教員(小・中学校)の教員の1カ月間の超過勤務時間は、平均65時間46分、持ち帰り残業は20時間32分(いずれも週当たり時間より推計)となっています。
少し長くなりましたので、給与をめぐる動きはまた次回に。
なぜ教員給与の話を取り上げるのか。それはなんだかんだ言っても仕事とは、お金を稼ぎ、生活するためものであるからです。社会や家庭は、公立学校に多様な要求をしています。その是非はともかくとして、教員の資質能力が優れているに越したことはありません。その意味で、教育改革に力を入れる時には教員給与を上げるというのが世界共通のやり方の一つであることは明らかです。
それなのに、この国は今、公立学校教員の給与を引き下げようとしています。財政事情で政府がそうすることはある意味当然かもしれません。ただ、私が問題にしたいのは、それを社会が歓迎しているということです。そんなことはないと言う方もいるかもしれせんが、組織つながりの関係者以外の声をよく聞いてみてください。多くの人は、公立学校教員の給与引き下げを当然と受け止めています。
教育の質を高めろと求める一方で、教員給与の引き下げの話に、ある意味で溜飲が下がる思いを感じる。そして、それを矛盾とほとんど感じていない。マスメディアでさえ、この流れに迎合している。これはいったい何なのでしょうか。
社会のほとんどが、学校や教員にルサンチマンを持っているとしか思えません。
優秀な教員を厚遇し、そうでない教員は給与を下げるのと当然という見方もあるでしょう。しかし、今回の給与見直しは、教員給与全体の削減が前提になっています。全体の人件費抑制が目的で導入された給与の成果主義が実際にどんな結果を招いたか。民間企業に勤める人間ならば、知らないはずはないでしょう。
重ねて言います。教員の資質を上げるための給与制度の改正と、給与削減は全く別な話のはずなのです。にもかかわらず、今回の給与制度見直しでは、全体で何%削減という数字が出なければおそらく社会は納得しないでしょう。
いくら教育制度を改革しても、実際に教えるのは人です。文部科学省の統計によると、大卒レベルの一般公務員給与(残業手当込み)と、制度的にいくら働いても残業手当が出ない公立学校教員の給与の差は、2・76%です。これは許されない差なのでしょうか。
ちなみに、文科省の試行調査によると、公立学校教員(小・中学校)の教員の1カ月間の超過勤務時間は、平均65時間46分、持ち帰り残業は20時間32分(いずれも週当たり時間より推計)となっています。
少し長くなりましたので、給与をめぐる動きはまた次回に。
この記事へのコメント
給料は下がるんであれば
こんな仕事はやってられまへん。
なので、アーリーリタイアメントを
考えてます。
塾や予備校の教員の仕事は、比較的楽に定義できるし仕分けできると思います。でも、それができない、あるいはそれを許さないのが今の家庭であり社会であり学校であるのではないでしょうか。
そもそも万引きをつかまえたら、店は親ではなく学校に連絡してきます。親が出てくるとこじれて大変なことになるので。
教員にとって授業以外の子どもとのかかわりにも教育である。だとしたら、教員の仕事とは何か。これは難しい問題です。
silviaさん、私は教員ではないので何ともいえませんが、教育は大事にされるが教員は大事にされないというのは、やはり間違ってますよね。
だいぶ以前は学校教育のスリム化論というのが、はやったことを思い出しました。なんでも学校が引き受けるのではなく、きちんとやれることを明確にして、あとは家庭や地域に返そうという論旨でした。地域や家庭の教育機能の崩壊で、学校スリム化論は自然消滅してしまいましたが。
話は全く変わりますが、私は日本の社会では欧米のような契約社会がリアリティを持つことはないのではないかと思うのですよ。いい意味でのなれあいが日本の特質でもある。
その背景には、一神教、いわゆる神との契約という思想がないからではないかなどと、飛躍したことを考えています。三一書房、日本評論社、なつかしい名前です、、、、特に三一は。
好景気とはいえ、恩恵にあずかれる人はごく限られ、その不満のはけ口が公務員批判、教員批判になっているのではないでしょうか。なんかみんなが石をぶつけられる相手を探しているような社会はいやなものです。