君が代・日の丸と指導力不足教員

 本当にびっくりしました。いや、東京地裁の君が代・日の丸をめぐる判決のことです。まさか原告側が勝った上に違憲判決まで出るなんて、全く想像もしなかった。これは都教委だけでなく原告側弁護団もそう思っているのではないでしょうか。さらに、今日の朝刊には、指導力不足教員の認定状況がありました。どちらも微妙な問題です。

 普段仕事をしている教育雑誌では、法的解説は書けても本音は書けないテーマ。第一、そんな依頼はきません(笑。そこで私の本音のところを今回は書いておこうと思います。

○式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁(9月21日)

○裁判のポイントは予防訴訟。
 詳しくはニュースを読んでもらうとして、この訴訟の大きなポイントは「予防訴訟」ということです。従来、卒業式などの君が代・日の丸の起立斉唱問題は、それに違反して処分されて初めて裁判になるわけです。

 ところが、これでは違反者に対する教委の処分がないと裁判にならない。裁判の間にも卒業式、入学式は来るわけですから、何度も処分を受け減給や懲戒になる可能性もあるというしんどい戦いになります。従来ならば、裁判が起きた時点で、水面下で組合と教委の間で妥協点が探られることになるわけですが、東京都はものすごく強硬なのでこの可能性はゼロでした。

 そこで、弁護団が編み出したのは予防訴訟という手法です。これは行政の命令が明らかに法律違反であり、それに従う必要がないということを実際の違反や処分が出る前に裁判で確認しておくというものです。また、予防訴訟に加わっていれば、実際に卒業式などで起立斉唱しても、内心は反対なのだということが表明できるため原告側の教員の心理的負担も軽くなります。ただ、この手法を考え付いた弁護士自身も裁判所が受理してくれるかどうか、確信はなかったようです。

で、ここからが私の本音と感想。
 ○本音1 日の丸・君が代は国旗・国歌である。
 どのような経緯があれ、日本の国旗・国歌は日の丸と君が代しかあり得ません。地裁判決にも触れられていましたが、侵略戦争の歴史があることは確かです。しかし、国家とは平和と戦争の間に成り立つものであり、星条旗や三色旗をはじめとして、血に塗られていない国旗などほとんど存在しません。君が代については異論もありますが、現在のところ代替物はないでしょう。


 ○本音2 公立学校教員は、国旗に対して「起立」すべきである。
 公立学校が行政の手で成り立っている以上、最終的に国と切り離された存在であるはずがありません。式典に国旗を掲げることは当然であり、それに対して敬意を態度として表明するのは公権力行使の一端を担う公務員となった段階で、受け入れるべきでしょう。


 ○本音3 式典での国歌斉唱は独唱型にすべきだ。
 ただし、歌うという行為は起立以上の重みがあります。例えば、国旗・国歌への敬意は国際儀礼だと言っても、米国での儀式で「星条旗よ永遠なれ」を日本人が歌わなくても何ら失礼にはなりません。まあ、歌えないだけですが、、、、、。

 いずれにしろ、ほとんどの儀式では、国歌は音楽だけ流れるか、独唱する人物が決められているかです。米国アメフトのワールドシリーズなどでは、ロックやカントリーの大物歌手が歌いますね。

 君が代を教える必要はありますが、学校の式典でも君が代は独唱方式(独唱指名に対する拒否権はあるとする)にしほうがいいと思います。これで実質的にはほとんど問題は解決するのではないでしょうか。


 ○本音4 子どもに対する強制は絶対に行うべきではない。
 公務員である教員には「起立」はしてもらうとして、子どもには起立・斉唱は絶対に強制すべきではありません。

 東京都の大き問題点は、学習指導要領による教員の指導義務という名目で、実質的な子どもへの強制になりかねないことをやっていることです。都立学校では生徒の起立状況が厳しくチェックされており、起立しない生徒が多いと教員は指導義務違反に問われ処分されることがあります。

 この都教委の論理は一見もっともですが、指導することとその成果は全く別のものです。例えば、起立しない生徒が多い-教員が指導義務を果たしていない-だから懲戒処分という論法が正しいとするならば、、、、、、クラスの数学のテスト成績が全体の平均点以下-指導義務を果たしていない-だから懲戒処分、ということだって成り立つわけです。

 生徒が起立・斉唱しないのは、教員がそう教えたからだという反論もあるでしょう。ただ、数学や英語ではなく、心の問題です。子どもは、そんなに単純でも馬鹿でもないでしょう。国旗・国歌に対する指導義務はきちんと果たしてもらうことを前提に、それ以上は子どもに任せるべきです。

 ただ、儀礼的意味からは起立だけは子どももすべきでしょう。絶対にいやならば、それでも構いませんが。日の丸に対して自分は敬意を持っていなくても、日の丸に敬意を持っている人も少なくないわけです。自分が嫌だからといって、他人が大事にしているものを踏みにじってもよいということにはならないはずです。儀礼の場では、不本意でも最低限の敬意を示す、それが社会的態度です。


 ○本音5 愛すべき「国」とは何かを決める自由は絶対に奪ってはならない。
 さて、国を愛することを教えろと学習指導要領は言います。教育基本法もその方向で見直されることになります。これについて異論は私にはありません。在日外国人問題もありますが、公立学校に通う以上は我慢してもらうしかない。例えば、米国の学校では頻繁に星条旗への誓いの儀式がありますが、自分は日本人だからとその場面でいちいち批判的態度を取れば、どう思われるか。

 で、最も大事なのは、自分が愛する「国」とは何かを政府や教員に教えてもらう必要はないということです。極端な例で言えば、自分の「国」を愛するがゆえに、現政権を倒すことだってりっぱな愛国心なのです。

 「私は国を愛している。しかし、どう愛すべきかをお前たちに教えてもらう必要はない」とは、赤狩りの時に証人尋問されたダシール・ハメットの言葉でしたか。


 ○本音6 都教委の言っていることは正しいが、やり方は間違っている。
 国旗・国歌に対する都教委の主張は、間違っていないと私は思います。起立を職務命令で出すことも、「起立」しない教員を処分することも、原則として間違いではない。

 しかし、子どもの起立・斉唱の状況をチェックして教員を処分するようなやり方は間違っています。また、処分を受けた教員を対象に、明らかに懲罰としか思えない特別研修を実施することも間違っています。


 ○本音7 たかが旗と歌じゃないの
 どっちもエネルギーの無駄遣いですね。


 なお、私もエネルギーの無駄遣いはしたくないので、今回に限りコメントをいだたいても返事はしません。どうかご理解のほどを。

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