日々雑感・学校5日制の発端

高校の履修不足・必修逃れ問題で、学校五日制がこの問題の根源であるという指摘が多くあります。今回は、学校五日制について。ただ、現在、少し忙しいので正確な期日や資料名などを調べる時間がないため、「雑談」という扱いでお話しします。

○「ゆとり教育」のために学校五日制、、、、はじつは後知恵だった。
 学校五日制のもともとの原因が、日米貿易摩擦によるアメリカの圧力だったと言ったら驚かれるでしょうか。じつは、そうなんです。

 今は昔、日本経済がまだ急成長を続けていた頃、貿易赤字に悩むアメリカは日本にさまざまな圧力をかけてきました。その一つが、「日本人は働きすぎだ」というものです。

 このため日本政府は、週40時間労働、いわゆる週休二日制を実施することを決め、民間企業に導入を働きかけ、続いて公務員の週休二日制に踏み切りました。

 ところが、ここで最大の問題になったのが公立学校です。教員を週休二日にすれば、学校はどうするのか。しかし、学校を休みにしないと教員の週休二日が実現できない。これに対して当時の自民党内部からは「教員の休みを増やすために学校を休みにするなどもってのほか」と大反対の声が挙がりました。

 そこで、当時の文部省と自民党文教族の一部が考え出したのが、子どもたちにゆとりを与えるために学校を五日制にするということです。つまり、週休二日制が「学校五日制」にすり替わったのです。

 こうして、月一回の学校五日制実施、月二回の学校五日制実施と、段階的に拡大され、小・中学校の現行学習指導要領の実施と併せて、2002年度に公立学校の完全学校週5日制が完成しました。


○教育界は、学校五日制実施に反対だった。
 文部省が学校五日制への段階的移行を打ち出したとき、小学校から高校までの各校長会は一斉に反対しました。PTA団体も反対意見を述べました。

 しかし、「子どもたちにゆとりを」という文科省の論理には当時、強い説得力があり次第に反対意見も収まりました。また、一般公務員の週休二日制が実施されていたので、いつまでも公立学校教員を放置するわけにはいかないという、切羽詰った事情もあったのです。


 文部省は反対意見を抑えるために、土曜日の子どもの「受け皿」づくりということで、さまざまな事業を展開しました。現在、土曜日に学校で実施されている子ども教室や地域教室などはこれが起源です。

 私は、このときの学校五日制への移行は、まさしく文部省の「プロジェクトX」だったと思います。


○それでも、学校五日制は正しかったと私は思う。
 本当は、公立学校教員の週休二日制だったものが、教育問題としての「学校五日制」にすり替えられたため、さまざまな問題を生みました。それが、今でも続いています。

 では、当時の文部省の政策は間違っていたかというと、私はそうは思いません。

 週休二日制は、成熟社会の必然だった。

 いろいろ批判はあるでしょうが、いまさら公立学校を週六日制に戻すのは馬鹿げています。学力低下という批判を盾に、子どもだけ週六日制に戻すのはいかがなものでしょうか。それは長い目で見れば、社会にとってよいことだとは思えません。

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