斎藤剛史の教育ニュース観察日記

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zoom RSS 日々雑感・教員の望む評価って何

<<   作成日時 : 2005/11/12 23:02   >>

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 昨日は優秀な教員への優遇について、結局わけのわからないエントリーを書いてしまいました。同様のテーマを扱っているブログを見ても、教員の方の意見はこんなことをすればヒラメ(上ばかり見ている)教員を大量につくるだけだという指摘が多いようです。

 ですが、逆の意見も実際にはよく聞きます。例えば、

「毎日、学級通信を作っていたら、みんながやらなければいけなくなるからやめてくれと同僚に言われた」

など、頑張っている人の足を引っ張るような雰囲気に嫌気が差している教員も結構多いはずです。私が学校で取材するような教育実践では、関係者の評価は高いが校内では孤立している教員の実践というのもじつは少なくないのです。

「学校では電話をとりついでもらえないから、連絡は直接携帯にかけてほしい」という先生も何人かいました。

 ここでよく考えたのことは、「教員とは自分の仕事をどう評価されれば喜ぶのか」ということです。

 民間企業の場合は、評価は給料とポストです。それ以外は評価とは言いませんし、言ってはいけません(おだてられてこきつかわれるだけです)。一般公務員ならば、昇進、あるいは裁量権の大きいポストでしょう。専門的職業の場合は、年収や社会的名声、関係団体の役職など、ものづくりの職人や技術者ならば自分の作ったものの出来ばえでしょうか。いずれにしても、どういう点をどういう形で評価をしてほしいという基準を自分の中に持っています。

 では、教員は何を基準に自分の仕事への評価を望んでいるのでしょう。

 給料でしょうか、ポストでしょうか、、、、、人事考課の導入や中間管理職ポストの創設に反対意見が根強いところをみると、そうではなさそうです。仮に公正な評価システムが整っていたら賛成するという意見もあるでしょうが、完全に公正な人事評価システムなど民間企業にも存在しないのですから、これは無理です。それでもまがりなりに民間企業で人事評価が機能しているのは、課長補佐、課長、部長と評価者が複数いるからです。管理職が校長と教頭しかいない学校で、できるだけ公正な人事評価システムを機能させようと思うならば、逆に評価者の複数化として中間管理職ポストの創設は不可欠なのです。

 では社会的名声、あるいは社会的な尊敬でしょうか。でも、これは教員全体に対することであり、個人としての評価には必ずしもつながりません。

 結局のところ子供の成長や笑顔なのでしょうか。でも、これは評価なのでしょうか。少なくとも、子供の成長や笑顔など、どう客観的にみても評価基準の対象になどなりはしません。

 ときどき、教員はじつは「誰からも口出しされずに、自分の好きなことをやって、社会的平均より少し上の給料をもらいたいだけ」で、そのためにいろいろ屁理屈をつけているのではないかと考えてしまうこともあります。

 教員は、職業人個人として、いったいどう評価されることを望んでいるのでしょうか。

 こんなこと考えるのは、私が「これをしたら子供の目の輝きが変わった」などというオカルト的な教育実践記事が嫌いなひねくれた人間だからでしょうか。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。子どもの笑顔が評価にならないという指摘は、そう言ってきた私にとっては見事に反論が成り立っており、なるほどーとうなりました。
しかし、反ばくします。話の前提として、果たして「昇進」「給与アップ」を教員が望んでいるのかについて考慮されていないように思います。
教室で児童と相対する教員をイメージしてなった職なので、全ての教員がそうでなくなる「昇進」を望んでいるとは思えません。「給与」も年功序列式になっているからこそ、打ち込めるものもあったのは確かだと思います。人事考課を認めるならば、昨今の教員も「給与アップ」にはやぶさかではないようになるのであって、議論は逆さに思えるような感じがします。
個人的に受けたい評価は実践が認められ、地域、保護者、もちろん児童から信頼を得られることでしょうか。社会的名声に近いことなのでしょうが、これは一時期であれ、自分のものとして実感できることはあると思います。
yo
2005/11/13 01:20
こんばんわ。

>教員は、職業人個人として、いったいどう評価されることを望んでいるのでしょうか

わたしが教員代表というわけではないので、わたし個人の思いを書きますが、そもそも「評価」をして欲しいという発想がありません。
自分のしていることが給与に反映しなくてもけっこう(減らされるのはイヤですが)だし、ましてや管理職というポストなどが欲しいと思ったことは1度もありません。(管理職は生徒に直接関われなくなってしまいますからね)

>少なくとも、子供の成長や笑顔など、どう客観的にみても評価基準の対象になどなりはしません

そうです。評価基準の対象にならないようなことがわたしにとっては教員という仕事をしていく時の活力になっています。そしてそれがわたしの生きている・あるいはこの世に存在する「意味」を感じさせてくれるのです。

屁理屈かもしれませんが、これがわたしの本心です。
卯月
2005/11/13 22:34
わたしも学級通信を発行していましたが、
忙しさと自身の研究ばかりするな!
ということで、休刊中になってます。
だから、このブログで、発信してます。
親も見ているそうなので…。

でも、発信しなくちゃいけないですね。
反省です。

ぱわぁあっぷ
http://blog.livedoor.jp/sekichan7_com/
せきちゃん
2005/11/13 22:40
私の周りを見ていると、評価を気にしている相手があるとしたら「子ども」だけです。同僚の評価・校長などの管理職の評価はあまり気にしてない人が多いです。
その理由は
1.自分の好きな職業だから
2.生活に困らない程度の給与があるから
といった理由でしょうか?
地域の特殊性もあるでしょうが、うちの地域の教員は「財産持ち」が多いので給料にこだわらない人は結構います。(私は財産の代わりに借金がありますけれど…ローン払わなくちゃ!)
だから子どもに拒否されると弱い人って多いような気がします。
(もちろん、地域によって違いがあるでしょうけれど)
七星 来人
2005/11/14 00:13
教員が望んでいるのは、評価ではなく報酬だと思います。
賃金や地位という物的(外部的)報酬に満足する人もいますが、逆に生徒の成長に帯同できるという心的(内部的)報酬に重きをおく教員もいます。
今のお上のやり口は、外的な報酬で釣れば、教員が意のままになると考えているとことに、問題があると思います。そうした考えでは、学校教育は死んでしまいます。
 
不適格教員
2005/11/14 22:31
みなさんコメントありがとうございます。私の恐らく的を外れているだろう疑問をお答えいただき感謝しております。これに対する私の感想は新しいエントリーの形で発言させていただきます。
カラ
2005/11/14 22:36
はじめまして、管理人様。
学校の先生ではないのですが、思うところを。

私は、評価については、「そんな細かいことは内輪で決めればいい」と思っています。管理側がやりたいと思っているなら、政治的な活動などこそこそ国民の反応をうかがわずに正々堂々とやればいいのにと(もっとも、もし教員の皆さんが「評価なんかされたくない」と思っているなら、傲慢というかただのわがままだと思いますが)。

あと、言葉尻を取るようでなんですが、評価は、評価される側が望むように出すものじゃないと思うのですが(そういう意味じゃないのかな?)
ゆう
2005/11/15 02:07
 ゆうさん、コメントありがとうございます。企業と違い公立学校教員は公務員なので、評価についてはどうしても内輪というわけにはいがず、制度的なものとなり、一般から見ればおおげさなことになります。

 ただ、評価という言葉のニュアンスがさまざまで誤解もあるのですが、私は組織における「評価」とは、民間も役所も関係なく、働くものの意欲や能力を高めることが、本来の趣旨だと思っています。民間企業でも単なる管理のために評価制度を導入すれば、効率や社員の意欲低下が起きますよね。

 まあ、教員の場合、評価されることに慣れていないので過剰反応という部分も確かにあることは事実なのですが。

 それと、ここのコメント欄はリンク機能がないに等しいので、トラックバックするかコメントの中にアドレスを入れてもらえば、こちらも訪問できるので助かります。
カラ
2005/11/16 12:00

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