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昨日は優秀な教員への優遇について、結局わけのわからないエントリーを書いてしまいました。同様のテーマを扱っているブログを見ても、教員の方の意見はこんなことをすればヒラメ(上ばかり見ている)教員を大量につくるだけだという指摘が多いようです。 ですが、逆の意見も実際にはよく聞きます。例えば、 「毎日、学級通信を作っていたら、みんながやらなければいけなくなるからやめてくれと同僚に言われた」 など、頑張っている人の足を引っ張るような雰囲気に嫌気が差している教員も結構多いはずです。私が学校で取材するような教育実践では、関係者の評価は高いが校内では孤立している教員の実践というのもじつは少なくないのです。 「学校では電話をとりついでもらえないから、連絡は直接携帯にかけてほしい」という先生も何人かいました。 ここでよく考えたのことは、「教員とは自分の仕事をどう評価されれば喜ぶのか」ということです。 民間企業の場合は、評価は給料とポストです。それ以外は評価とは言いませんし、言ってはいけません(おだてられてこきつかわれるだけです)。一般公務員ならば、昇進、あるいは裁量権の大きいポストでしょう。専門的職業の場合は、年収や社会的名声、関係団体の役職など、ものづくりの職人や技術者ならば自分の作ったものの出来ばえでしょうか。いずれにしても、どういう点をどういう形で評価をしてほしいという基準を自分の中に持っています。 では、教員は何を基準に自分の仕事への評価を望んでいるのでしょう。 給料でしょうか、ポストでしょうか、、、、、人事考課の導入や中間管理職ポストの創設に反対意見が根強いところをみると、そうではなさそうです。仮に公正な評価システムが整っていたら賛成するという意見もあるでしょうが、完全に公正な人事評価システムなど民間企業にも存在しないのですから、これは無理です。それでもまがりなりに民間企業で人事評価が機能しているのは、課長補佐、課長、部長と評価者が複数いるからです。管理職が校長と教頭しかいない学校で、できるだけ公正な人事評価システムを機能させようと思うならば、逆に評価者の複数化として中間管理職ポストの創設は不可欠なのです。 では、社会的名声、あるいは社会的な尊敬でしょうか。でも、これは教員全体に対することであり、個人としての評価には必ずしもつながりません。 結局のところ、子供の成長や笑顔なのでしょうか。でも、これは評価なのでしょうか。少なくとも、子供の成長や笑顔など、どう客観的にみても評価基準の対象になどなりはしません。 ときどき、教員はじつは「誰からも口出しされずに、自分の好きなことをやって、社会的平均より少し上の給料をもらいたいだけ」で、そのためにいろいろ屁理屈をつけているのではないかと考えてしまうこともあります。 教員は、職業人個人として、いったいどう評価されることを望んでいるのでしょうか。 こんなこと考えるのは、私が「これをしたら子供の目の輝きが変わった」などというオカルト的な教育実践記事が嫌いなひねくれた人間だからでしょうか。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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こんにちは。子どもの笑顔が評価にならないという指摘は、そう言ってきた私にとっては見事に反論が成り立っており、なるほどーとうなりました。 |
yo 2005/11/13 01:20 |
こんばんわ。 |
卯月 2005/11/13 22:34 |
わたしも学級通信を発行していましたが、 |
せきちゃん 2005/11/13 22:40 |
私の周りを見ていると、評価を気にしている相手があるとしたら「子ども」だけです。同僚の評価・校長などの管理職の評価はあまり気にしてない人が多いです。 |
七星 来人 2005/11/14 00:13 |
教員が望んでいるのは、評価ではなく報酬だと思います。 |
不適格教員 2005/11/14 22:31 |
みなさんコメントありがとうございます。私の恐らく的を外れているだろう疑問をお答えいただき感謝しております。これに対する私の感想は新しいエントリーの形で発言させていただきます。 |
カラ 2005/11/14 22:36 |
はじめまして、管理人様。 |
ゆう 2005/11/15 02:07 |
ゆうさん、コメントありがとうございます。企業と違い公立学校教員は公務員なので、評価についてはどうしても内輪というわけにはいがず、制度的なものとなり、一般から見ればおおげさなことになります。 |
カラ 2005/11/16 12:00 |
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